"so what"問題
概要
DX系の話について、問題の構造がもう一歩深く見えたような気がする
例えば、センサーにより、業務実態を可視化して、経済活性化につなげたい、というお題を考える
どんな問題が起きているのか
話を聞けば聞くほど、死屍累々な現状に気付かされるのだった
話のストーリーとしては、良さげに見えるのだが
何が起きているのか
ベンダーは、データが取れます、分析できます、と謳う
しかし、そのデータを、何にどう活かすのかを語ることはできない
彼らは、何にどう活かすかは、ユーザーの考える問題なのだ、と考えている
一方のユーザーは、ツールの導入で万事解決するものと期待している
つまり
ツールを入れました、の先の"so what"が相手側にあるのだろうと、互いに期待している
それがエアポケットになっている
それこそが、プロジェクトを意味あるものにするために必要な、絶対唯一の最大限綱領なのに
"so what"の不在は、気付かれない
デジタルツールの導入は、細かい問題が次から次から発生する
そしてそれらに対処している間は、"so what"について考えることから逃避できてしまう
だから、最終成果物が生まれ落ちたその瞬間に「あれっ、欲しかったのって、こんなものだっけ?」が起きる
問題の根源は
ツールベンダーの営業人員が、サラリーマンである、ということに尽きるのかもしれない
彼らの行動原理は、自社製品を売ることに特化されている
価値創造への情熱が、一欠片もない
ただ、事例をきらびやかに見せるだけ
噴飯ものだなぁと思うのは、彼らの営業トークの決め台詞は「デジタルは、あくまで手段です」
タチの悪い水商売みたいなものである
もちろん、ユーザー側にも問題がある
デジタルのことなんか、わからんし、という態度
金を払って専門家に任せるのは間違ってはいないが
本来、自分のスコープとして扱うべき問題まで、ベンダーに丸投げしてはいけない
つまり、自分たちはこれからどこを目指すのか、を、考えること
そのために、情報を集め、吟味し、関係各位と話し合うこと
独自の価値を生み出すために、工夫すること
そのための、リスクとコストを負担すること
現実問題としては
それは、果てしなく面倒なのだ
金を払って、ぽいっと済ませられるなら、人は必ずそれを選ぶ
補助金とか、会社がつけてくれた予算なら、なおさらである